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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる「懸其所仕之車置諸廟」漢詩文の落款
閉じる仙台藩医・木村寿禎の落款
閉じる断層画像写真
閉じる女三の宮の降嫁、復元模型
閉じる左が冷泉天皇、右が源氏の君の模型
閉じる御簾の奥が朱雀院(前朱雀天皇)
オススメ度 4.9点
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自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。【明治】『滋賀県会日誌』他 まとめて一括計117冊セット●明治20年~明治28年発行のうち●検)地租税/課税/法令/通達/布達/公文書/官報/議案。大東亜戦争 海軍作戦写真記録。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。写本 喜多川義比口演『有機化学』明治26年 京都府立医学校(現・京都府立医科大学)有機化学講義録 京都府立医科大学附属病院薬剤部長。大寳百人一首紅葉錦 袋附 日本橋/金花堂須原屋佐助。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。◆ヴィンテージ◆ 歩兵操典註解 昭和十五年 改訂 應用戦術ノ参考書 2冊セット 戦争 昭和 レトロ 戦時 当時物 資料。孟子 白文 天 冊子 0228S11r。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。長谷川伸旧蔵書 西川友孝『随筆集 庭を想ふ心』昭和12年 旺玄荘刊(滋賀県大津市)造園家 庭園設計家 日本庭園。天照皇太神宮 勢州山田松本清房謹刋行 慶安三年正月日刋。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。窮理堂方府 上編(飲劑)中編(内服諸藥)下編(外施諸 劑)各上中下巻・下編附録 元合本 平安/小石龍元瑞父編撰。@1939年 支那 全土 検索:汪精衛 蒋介石 関東軍 陸軍閥 国民党 将軍 租界 生写真 革命党 孔祥熈 GHQ 満洲国 総督府 禁書 張学良 支那 古建築。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。●文献資料●『井上伯伝』全9冊揃 井上馨 幕末の志士 尊王攘夷運動 明治維新 石版写真版多数 中原邦平 明治40年刊●古書 和本。今川了俊愚息 天保4年 今川貞世 南北朝時代 九州探題 室町幕府 戦前明治大正古書和書古本 NA。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。宋拓聖教序 王羲之 経折本 検索:柯羅版 玻璃版 支那 原拓片 碑帖 法帖 法書道 朱印譜 故宮 原色版 古墨拓本 碑刻石鼓文 金石篆刻 唐本 古璽。軍事資料 兵営図 絵図★「第四師団第九連隊」明治24年9月発行 所在地 大阪・大津・伏見 ・京都。また、各巻ごとの書かれた年については不明。築山庭造傳 全 6冊 セット 揃い 帙付き 建築書院。@満洲名所写真帖 100図 検索: 中華民国 軍閥 蒋介石 古建築 生写真 馮玉祥 支那 国民党 総督府 汪精衛 GHQ 禁書 台湾 朝鮮 妓生 関東軍部。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。@国宝 文物 骨董 原色版 写真集 検索: 支那 青銅器 漆器 瓷器 明代 青花瓷 元青花 唐三彩 白鶴美術館 官窯 民窯 宋瓷 影青瓷 白瓷 図録。0032452 琴曲抄 新組入 表裏 2冊揃 松柴清四郎 元禄7年 箏曲 邦楽。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。送料込み、1789年の江戸時代の和本「慶安太平記」全10巻5冊、写本、慶安事件、由井正雪、幕府転覆計画。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。商人夜話草。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。■希少 1906年頃(明治39年、40年、43年)!第十二銀行(現在:北陸銀行) 金員差引之通(通帳)3冊 頭取:中田清兵衛。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。李香蘭 山口淑子 私之半生 検索:満洲映画 満鉄 潘淑華 支那之夜 川島芳子 白蘭之歌 夜来香 抗日漢奸 満洲帝国 袁美雲 陳雲裳 王引 中華民国。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。1933年 熱河画報 改造 検索:山海関 湯玉麟 兵営 鴉片 離宮苑 普寧寺 朝陽 満洲帝国 張作霖 張学良 軍閥 関東軍 総督府 生写真 古建築蒋介石。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。獨鶴(知影)著 岡崎元軌序『独鶴詩集』(全2冊揃)文政7年刊 京都光隆寺の僧知影の漢詩集 江戸時代和本 本願寺派資料。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。
出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)下」の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。河田貫之介書簡。若菜・下の巻名は朱雀院(前朱雀天皇)の五十の御賀があり、源氏の君はその賀宴を「このたび足りたまはん年、若菜など調(てう)じてや」に因む。柏木は朱雀院(前朱雀天皇)皇女で源氏の君の正室に降嫁した女三の宮へのかなえられない恋に煩悶する。●美術書●『書画必携 名家全書』全7冊揃 文久元年序 積玉圃 落款●古書 和本 江戸時代。四年の歳月が経過。冷泉天皇は在位十八年にして東宮に譲位し今上天皇として即位した。傳、藤原定家卿小倉色紙 及古筆了仲證文(鑑定書)古書簡と古色紙の一括。翌年、朱雀院(前朱雀天皇)と女三の宮との対面を企画し五十の賀宴が催されることになった。源氏の君は六条院の女たちによる「女楽」による演奏の宴を開いた。■『滑稽發句屋奈幾樽/川柳猫鯰』時雨庵蛙水編纂。舊邦堂陳人校正。明治22年大阪南區長堀橋筋・前野茂久次初刷。。柏木は、女三の宮の姉・女二の宮を正室に迎えたが、女三の宮への未練を断ち切れずにいる。葵祭りの前日、柏木は源氏の君の不在時に小侍従の手引きにより女三の宮と逢瀬をした。◎くC-191121 レア[一番よくわかる 読本の正解 農村読本 高等二年前期 2]ペスタロッチ 待賢門の戦。夏のある日、源氏の君は女三の宮の体調不良の原因がご懐妊と知り、不審を抱いた源氏の君が柏木から女三の宮あての手紙から柏木と女三の宮の密事が発覚する。(女三の宮の子がのちの薫の君)源氏の君、41歳から47歳までを描いている。坤輿図識 補共。
自筆上部の「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。和本 明治 浄土真宗 仏教 三部経御延書 古書古文書 真宗 浄土真宗 近八郎右衛門 式嘆徳文延書 真宗勤行書 執持鈔 浄土文類聚鈔 佛前儀式。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
「若菜・下」の巻は英文で「New Herbs Part Two」と表記されます。
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という。新板絵入因果物語。これは、中国の皇帝が譲位した場合、高位の高官も職を致仕(退官)するという「白氏文集」の漢詩文に由来している。「若菜・下」では在位十八年の冷泉帝が譲位し、これにつれて太政大臣が致仕する。1944年 初版 限定3000部 支那経済史 図版 原色写真 陶瓷器 銀票 古銭 銀元宝 銀錠 大明宝鈔 銭荘票号 當舗 老北京 琉璃厰 古玩 庭園 古建築。原文には、「かしこき帝の君も位を去りたまひぬるに、年ふかき身の冠(かふふり)を懸(か)けむ」と記されており、「白氏文集」の漢詩文からの引用である。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。1927年 梁啓超 唐本 漢籍 史学與地学 双忽雷影本 唐代琵琶 漢文 古籍 張蔭麟 中華民国 初版 検索: 善本 新文学 珂羅版 玻璃版 梁任公 王庸。)
「自筆原本」
自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘の幾千姫(玉映)の落款。
自筆上部のタテ長の印は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて
諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款。復活祭 竹内正一著。
反対側の印は仙台藩医・木村寿禎の落款
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。収集家のコレクション 阿南順徳 児玉作治郎 遼東兵站消印 軍事郵便封筒 レターパックライト可 0501Q2h。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という若菜・下の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。篠田仙果編 小林清親画『鹿児島戦争記』(4冊)明治10年杉浦朝次郎刊 明治時代和本 草双紙/絵草紙 彩色木版画 浮世絵 錦絵。》
《おはします》・・・・・ほと(程)にて、見(み)たま(給)ふ。
「そのことゝなくて、しはしはもきこえぬ程に、おほつかなくてのみ年月
の過(く)るなむ、あはれなりける。明治期小説挿絵巻 五姓田芳流 小林清親 永濯 桂舟 魚州。なやみ給ふなるさまは。くはしく聞きし
後、念誦のついてにも、思ひやらるゝは。1939年 孫過庭 初拓書譜 検: 碑帖 拓本 墨拓片 原拓 漢碑刻 法帖 北魏碑 珂羅版 支那 法書道 善本 篆刻 印譜 唐本 漢籍 王羲之 石門頌 楷書。いかゝ。世中淋しく、思はす
なる事ありとも、忍ひ過くし給へ。即決 1867(慶応3)年『南都暦 天保壬寅元暦 』八卦、卜占、陰陽師 、二十八宿、七十二候、日蝕アンティーク、天文暦学書、江戸期和本。うらめしけなる氣色なと、おほろけにて、
見知り顏にほのめかす、いと、品おくれたるわさになむ」なと、
をしへ聞え給へり。いと、いとほしく、心くるしく、「かゝる、うちうちの
あさましきをは、きこしめ(召)すへきにはあらて、わかおこたりに、
ほい(本意)なくのみきゝ・・・・《おほすらむ》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。北斎漫画? 風俗 風景名所ほか 絵手本 江戸 浮世絵 0112V1G。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《准大上天皇として現世における極上の栄耀栄華を得た我が身を回顧する源氏の君》
《柏木と女三の宮の密通を藤壺中宮と自分(源氏の君)とに重ねて合わせて悩む》
《柏木、女三の宮(源氏の君の正室)との密事(みそかごと)が露見し驚く》
《朱雀院(前朱雀天皇)の五十の御賀の延期》
《朱雀院(前朱雀天皇)が女三の宮(源氏の君の正室)ご懐妊を知り心配をされる》
《院(朱雀院・前朱雀天皇)が、宮(女三の宮・源氏の君の正室)のことについて、
お気をおまわしになられる。1936年 如竹齋印府 印譜 検索: 書道 雅印存 封泥 篆刻 金石鼓文 篆字 落款 雅号印 花押 支那 呉昌碩 朱印斉白石 張大千 黄易 趙之謙 鄧石如。それにつけても、俗世のわずらわしいことは思い捨てあそばした
御身の上であるけれど、やはり子(女三の宮・源氏の君の正室)を思う道は
お忘れになりにくくて、宮(女三の宮・源氏の君の正室)にお手紙をこまごまと
書いておあげになったのを、ちょうど大殿(源氏の君)が
いらっしゃるとき》・・・・・なので大殿(源氏の君)が直接ごらんになる。
(朱雀院・前朱雀天皇)「これといった用事もなくて、たびたびはお便りを
さしあげないでいるうちに、ご様子も分らぬまま年月が過ぎてしまうのは悲しいことです。1946年 初版本 温泉宿 川端康成 文芸評論家 ノーブル文学賞 新感覚派 雪国 芥川賞 直木賞 文学士 抒情歌 千羽鶴 古都 山の音 ちよ 浅草紅団。
宮(女三の宮・源氏の君の正室)のご気分がおわるくいらっしゃる由を詳しく耳にしてからは、
念仏誦経の折にもあなたのことが思いやられてならないのは、どうしたことですか。
大殿(源氏の君)との御仲の寂しく心外なことがあっても、辛抱してお過しになるように。釣魚大全/昭和12年/アイザックウォルトンの随筆/自然に包まれた素朴で静かな生活の礼賛が作者の真意で聖書に次いで広く読まれたといわれる。
いかにも恨めしそうな面持(おももち)など、通り一ぺんなことで心得顔にほのめかすのは、
品格を下げることなのです。」
などと、朱雀院(前朱雀天皇)は、宮(女三の宮・源氏の君の正室)へのお手紙の中で父としてお諭(さと)し申していらっしゃる。【十三】 舞楽図 左右2冊揃 芸艸堂 検索用語→B0112古書和本和書古文書雅楽能楽多色摺木版画色刷。
大殿(源氏の君)は院(朱雀院・前朱雀天皇)のお気持がまことにお気のどくにも
おいたわしくて、このような内々の情けない不始末をご存じのはずもないのだから、
この自分の落度であると不本意・・・・・《におぼしめすのであろう、とばかりお思い続けになられる。》
備考1・柏木と女三の宮の密通を藤壺中宮と自分(源氏の君)と重ねて合わせて、恋ゆえに避難することができないと悟る。0024862 写本 犬追物故伝書抜粋 写記不明。
備考2・源氏の君は先天的な優秀性のゆえに帝の寵愛を受けた。現在は、准大上天皇として現世における極上の栄耀栄華を得ている。池田東籬亭編 中村有楽斎画『天保刻成京都順覧記』(2冊セット)江戸時代和本 幕末期の京都ガイドブック。
備考3:冷泉天皇は桐壺天皇と藤壺中宮の皇子としているが実際は源氏の君と藤壺の皇子。東宮(皇太子)は、今上天皇として即位し、今上天皇と明石女御の御子は、源氏の君の孫、のちに次期天皇として即位する未来が開け源氏の君の栄華が際立つ。勧施救荒。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。
禁裏(京都御所)で書かれたものです。永峰秀樹訳『欧羅巴文明史』(全14冊揃)明治10年 フランス歴史家ギゾーのソルボンヌ大学講義録訳出 明治時代和本 牧治三郎旧蔵書 西洋史。
《New Herbs Part Two(若菜・下)》
He wrote to the Third Princess in long and troubled detail.
"I have neglected you because I have had no reason to write,
and I hate to think how much time has gone by. I have heard that you are not well.
You are in my thoughts even when they should be on my prayers.
And how in fact are you?
You must be patient, whatever happens and however lonely you may be.
It is unseemly to show displeasure when the facts of a matter are less than clear."
"How sad," said Genji, who chanced to be with her.
The Suzaku emperor could not possibly have learned the horrid secret.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《若菜・下》
其例有所。”他竟如此猜想。重訂本草綱目啓蒙 図譜共。世俗事,朱雀院均已抛舍,
惟父女之,犹自未能忘,于是写了一封的信三公主。
信送到,正好源氏在六条院,便了。山分(二河白道鈔)。但其中有云:
“只因无甚要事,所以久不通。音信隔,日月推,
使我不念。『英和封譯袖珍辞書』●堀達之助編/秀山社●昭和48年発複製版発行●検)徳川蔵田屋静岡学問所沼津学校英和辞典。汝近身患疾苦,我知情以后,念佛之余,
深挂念,不知近日如何。人生于世,即使寂寞寡,
或遭意外之,亦耐心忍受。片山直人著 中島仰山画『日本竹譜』(全3冊揃)明治19年 石川治兵衛刊 明治時代和本 絵入本 植物学書 園芸書 挿絵満載。
中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・下の巻の末尾(原本番号107-B)の押印。
左下の四角の大きな印は仙台・伊達家の家紋の印(竹に雀)
家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)の印。本 「古時計」 塚田泰三郎 本田親蔵 共著 東峰書房 古本 (22_10308_15)。冬姫は内大臣・通誠の養女。
冬姫は通称。●仏教書●『和字絵入 往生要集』全3冊揃 八田華堂金彦 地獄 閻魔 六道 浄土 天保14年刊●古書 和本 江戸時代。正式な名は伊達貞子。2つとも貞子の印。林子平述 松浦武四郎編『林氏雑纂』(全2冊揃)明治3年序 甘泉堂・千鐘房刊 明治時代和本 北海道・蝦夷関連資料。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。
左上端の細長い落款は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩文の印。加茂郡南戸村地引絵図 戸長千賀氏署名黒印。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)の印。方子の上の印は方子の娘・幾千姫(玉映)の印。中国絵画☆張大千作品選集★中華民国国立歴史博物館 送料無料。右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。平等院鳳翔館 検索:図録 木版刷 経折本 佛経 写経 藏経洞 古籍善本 唐本漢籍 支那 敦煌 彫版 刻経 玉扣 木刻本 筒子頁 殿本 套色印 白棉紙。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜・下の巻)MRI 35―93B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)
「源氏物語」「若菜・下の巻」絵図、茶室関係資料
下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・下)」(源氏物語絵巻)
朱雀院(前朱雀天皇)の五十の賀を祝い女三の宮、紫の上、明石女御が演奏する「女楽」の有名な場面
上の女性三人のうち右から紫の上は和琴、明石の女御は箏、女三の宮の琴。Larc en Ciel ラルクアンシエル 15th CHRONICLE BOX + LE-CIEL BOXX 10周年記念 復刻ファンクラブ会報ボックス Tシャツ付き 送料無料。
手前の後ろ姿で琵琶を弾いているのが明石の君
上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)
上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例
「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。森本儀太夫 加藤家十勇士 玉田玉秀斎 立川文明堂 明治 木版画。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。1924年 支那当代新人物 検索: 中華民国 蒋介石 軍閥 閻錫山 馮玉祥 孫文 国民党 生写真 呉佩孚 古建築 総督府 汪精衛 溥儀 宣統皇帝 蔡元培。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。【R】D3◆超希少◆ 皇族御写真帖 当時物 天皇陛下 日本政治 貴重品。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。鈴の屋翁十二ヶ月短冊集 本居宣長。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。■送料無料■ 事務日誌 西八代郡 大河内村 役所 明治11~12年 山梨県 現:南巨摩郡 戸長 書役 資料 文献 古書 古文書/くYUら/HH-2147。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。万延元年 江戸時代 和本 和歌の本 短冊 書 写本 貴重資料。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。0032293 三国名勝図会 全5冊揃(本4+索引1) 原口虎雄・監修 青潮社 昭和57年 薩摩国・大隅国・日向国 定価6万円。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。沖永良部島民俗誌/柏常秋・柳田国男/昭和29年/時代の推移と共に滅び行く習俗の多いのが惜しくこれを収録しておくことの必要が痛感された。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。☆E0170和本文久元年(1861)「宗門人別改帳ほか」4冊/甲斐国巨摩郡一町畑村(山梨県)/古書古文書/手書き。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。子孫繁昌記。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。古文書 西院流 起請文 安永3年 江戸時代 仏教 密教 真言宗 空海 検)天台宗仏陀浄土真宗浄土宗親鸞法然護摩加持修法写本印信案密印 NP。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。1940年 支那 幌子 風習 招牌 看板 広告牌 租界 生写真 古建築 洋行 銭荘 票號 商標 商号 酒保 酒舗 照片 牌額 旧中国 図版 相片 憲兵 事変。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。児玉信栄『何物語』(全3巻揃)寛文7年 田中文内梓行 仮名草子 江戸時代和本 中国思想や中国の偉人聖人の評伝など。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。@1941年 北京観光案内 現地刊 検索:支那 事変 中華民国 軍閥 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 老照片 国民党 生写真 古建築 北平相片 妓女 美女 姑娘。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。華厳遊心法界紀。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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