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大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品 | ||||
商品説明(来歴) | 大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。これは、中国の皇帝が譲位した場合、高位の高官も職を致仕(退官)するという「白氏文集」の漢詩文に由来するものです。原文には、「かしこき帝の君も位を去りたまひぬるに、年ふかき身の冠(かふふり)を懸(か)けむ」と記されており、「白氏文集」の漢詩文からの引用である。また、原文中の上部に「篆書(てんしょ)体」の落款を入れたのは、仙台藩の藩主の正室・仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)、通称伊達貞子か出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)のいずれかと推定されております。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。 「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。 落款の「讃」の元になるその原文の個所には、 「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款が押捺されている。 つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。。蛙屋鷺岱『四季季寄いろは分 ぬくめ種 全』嘉永2年 菱屋弥兵衛刊 江戸時代和本 俳諧季語集 俳句 俳書。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 犬甘半左衛門 古文書。大正元年 細川流四季之景図 12図 勝野博園 和本 検索:盆石 家元 武将 茶人 大名 盆山 盆景 盆庭 戦前 図版 残雪 武将 大名 書院 茶会 茶人。子孫繁昌記。(和本)標註十八史略正文 全7冊 渡井量蔵標註 内藤傳右衛門板。■送料無料■ 事務日誌 西八代郡 大河内村 役所 明治11~12年 山梨県 現:南巨摩郡 戸長 書役 資料 文献 古書 古文書/くYUら/HH-2147。@1939年 支那全土 検索: 支那 中華民国 軍閥 蒋介石 江南風景 馮玉祥 孫文 国民党 生写真 古建築 総督府 汪精衛 軍事地図 満州事変 蘇州府。俳諧廿日艸 武陵誹窟/秦川改/廿日坊自序 菊淵舎玉我序 柳塘鐘下跋。兵器考・4冊・戦前の兵器学のバイブル/昭和15年/砲熕編・一般部/砲熕編・海軍砲熕・小銃/古代編・近代編/古今東西の兵器の大観に通ずるもの。木村蒹葭堂小伝/高梨光司/大正15年/大坂以外にも諸方の名士が彼のもとを訪れ当時の知識人のサロンの主宰者のような立場にあった人物/和装本。大寳百人一首紅葉錦 袋附 日本橋/金花堂須原屋佐助。1936年 写真雑誌 検索⇒軍国主義 旧日本軍 満州事変 ヒトラー ドイツ軍 飛行船 支那 関東軍 日独伊三国同盟 世界大戦 生写真 和服美人 軍閥。新版 拾芥抄 全6冊(上中下)揃 藤原実熙著 京都・風月荘左衛門版。桃太郎御話聞書 淘祖春龜齋丸三先生御話。『開花柳樽』(3冊)明治11年文明開化を描いた川柳絵本 明治時代和本 彩色木版画 浮世絵 草双紙・絵草紙 月岡芳年 歌川芳宗 長谷川貞信。■『喜劇/滑稽又滑稽』中井苔香著。 |
不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
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自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。踏水訣 肥後/小堀長順常春著 寳暦八年春三月吉辰刋。即決1709年(宝永6)年『授時暦経諺解 巻2』アンティーク天文暦学書、江戸期和本天文、日蝕、月蝕、卜占吉凶、陰陽師、二十八宿、六十干支。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。三井銀行五十年史。蔓難録 七巻(全五册) 龍洲柘先生著。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。黒田行次郎『増補和解 西洋事情 附録』慶應4年序 村上勘兵衛刊 江戸時代和本 福沢諭吉関連貴重書。1937年 號外 蒋介石 何応欽 蘆溝橋 支那事変 検索: 中華民国 汪精衛 関東軍閥 憲兵 国民党 生写真 革命党 満洲 総督府 張学良 古建築 満鉄。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。古文書 西院流 起請文 安永3年 江戸時代 仏教 密教 真言宗 空海 検)天台宗仏陀浄土真宗浄土宗親鸞法然護摩加持修法写本印信案密印 NP。文久江戸時代 論語 孟子 学庸 古文書 1026P3h。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。名所小鏡。!!貴重 明治古書●「徳川幕府刑事圖譜」(色刷版画)●各頁に画題(上部和文・下部筆記体英文)●藤田新太郎:編・画●神戸直吉:刊●。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。長谷川伸旧蔵書 開拓使編纂『北海道志』(全三十五巻二十五冊揃)明治17年 大蔵省刊行 明治時代和本(和装活字本)地誌。速水春暁斎『絵本金毘羅神霊記』(全10冊揃)文化5年鶴屋喜右衞門他刊 江戸時代和本・読本 大坂の浮世絵師による絵入本。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。霊飛経 唐本漢籍 線装本 検索:光緒年 木版刷 経折本 佛経 写経 藏経洞 古籍善本 支那 刻経 玉扣 木刻本 筒子頁 殿本 宣紙 白棉紙 清朝 経書。長谷川伸旧蔵書 西川友孝『随筆集 庭を想ふ心』昭和12年 旺玄荘刊(滋賀県大津市)造園家 庭園設計家 日本庭園。また、各巻ごとの書かれた年については不明。【激レア】日本文化/折紙 /伝統の美 /宮脇龍夫 著 /レア /廃盤 /コレクション /アンティーク/ 本/折り紙 /おりがみ/古書/希少/origami。214-2辰巳ヨシヒロ「和本てんぐ堂主人」肉筆カラー口絵付、和本シリーズ①紅書房/ドンコミック未読本、限定版26/50部。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。古文書 横山大観 「岡倉天心偉績顕彰会講演稿」 超珍品 楷書 共立記念講堂 茨城県 五浦 昭和18年 歴史資料 日本画 原稿。特殊労務者の労務管理 前田一 山海堂 昭和19年 帯付き 戦前 戦時中 古書 古本 レトロ アンティーク ビンテージ。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。柳田泉旧蔵書 正司考祺輯録『武家七徳』(全十八巻十八冊揃=前編十巻十冊+後編八巻八冊)嘉永5年序刊 江戸時代和本 近世木活字本 経世書。節宇遺稿 全 付 遺芳纂録 亀山雲平 節宇遺稿出版事務所 播磨聖人。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。北亞墨利加小舶之圖 マンハッタン號 筒井肥前之守(筒井政憲)舊藏 幕府御用繪師畫。h∞∞ 頭書 増補和歌題林抄 1巻~10巻 不揃い 10冊セット 11巻欠け 古文書 古書 発行年不明 /C05。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原 富家鞭 古文書。希少 天保九年 倭漢偉人番付表 江戸期木版画 レターパックライト可 0407U7G。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。清代各地 将軍 都統 大臣 年表 検索:初版 盛京 奉天府 清朝 清時代 道光 嘉慶 乾隆 同治 順治 宣統 光緒 軍機処 江南製造局 康煕 咸豊 八旗。明治34年発行 南華眞經巻第六~十 郭象子玄註 陸徳明音義 有井範平 訓點 瀧錬太郎 校 中川明善堂。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。【天白】古通豆本 特装版 全137冊(1巻~135巻+別冊2巻) 木製本棚ケース 書架 こつう 日本古書通信社 コレクション 書籍。上州路 史跡篇 昭和28年発行。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。●美術書●『書画必携 名家全書』全7冊揃 文久元年序 積玉圃 落款●古書 和本 江戸時代。支那 美人 麻将 麻雀 15cmX11cm 白黒 検索:生写真 中華民国 旗袍 小姐頭 洋行 憲兵 巡捕 租界 老照片 相片 水煙 日中戦争 満州事変 妓女。若菜・下の巻名は朱雀院(前朱雀天皇)の五十の御賀があり、源氏の君はその賀宴を「このたび足りたまはん年、若菜など調(てう)じてや」に因む。『諸国案内旅雀』(8冊セット)享保5年和泉屋山口茂兵衛梓 江戸時代和本 絵入本 地誌 古地図 旅案内 諸国旅雀。和本『韻府古篆彙選 5冊揃』 西陵陳策嘉謀父纂 博文館 明治36 落款。四年の歳月が経過。熊沢淡庵『近代正説碎玉話 武将感状記』(全10冊揃)正徳六年序 秋田屋太右衛門他刊 江戸時代和本 戦国時代-江戸初期の武将・武人逸話集成。■希少 美品 1700年頃(江戸中期) 手書き華道手本巻物!三雅流挿花法式図(華道/いけばな) 「遠州流」)全長約5.9m、幅12.7cm。翌年、朱雀院(前朱雀天皇)と女三の宮との対面を企画し五十の賀宴が催されることになった。サナエ550 江戸期古文書 小笠原流仕方百カ条覚事 79p 剣術 墨書 本物保証 越前府中旧家蔵うぶだし。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 寛文十二 富家馬之 鞍 馬刀 古文書。柏木は、女三の宮の姉・女二の宮を正室に迎えたが、女三の宮への未練を断ち切れずにいる。光緒26年1900年/中庸正文/監本/明善堂 検索:綿宣紙/木版刷/紙紐装本/大字版/麻紙/竹紙/玉扣/唐本漢藉/支那内府/批注/中華民国/絵本/古文書。薩摩武録。夏のある日、源氏の君は女三の宮の体調不良の原因がご懐妊と知り、不審を抱いた源氏の君が柏木から女三の宮あての手紙から柏木と女三の宮の密事が発覚する。■『海内無雙/東京文證大全(上下巻揃)』青木輔清著述。明治27年訂正第3版。須原屋枩成堂發兌。明治期の文章規範・模範文例。(女三の宮の子がのちの薫の君)源氏の君、41歳から47歳までを描いている。B < 宝生流謡曲本 78冊セット > 宝生九郎 謡本 明治 古典芸能 伝統芸能。
自筆上部の「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。復活祭 竹内正一著。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
「若菜・下」の巻は英文で「New Herbs Part Two」と表記されます。
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という。y2570☆ 江戸流行 料理通 八百善主人 永楽屋東四郎 和泉屋市兵衛 西宮弥兵衛 文政5 和装本 古書 古文書 和書。これは、中国の皇帝が譲位した場合、高位の高官も職を致仕(退官)するという「白氏文集」の漢詩文に由来している。「若菜・下」では在位十八年の冷泉帝が譲位し、これにつれて太政大臣が致仕する。串田孫一 自筆書簡5通・葉書4枚セット(真筆保証品)結城信一宛 昭和43年-55年。原文には、「かしこき帝の君も位を去りたまひぬるに、年ふかき身の冠(かふふり)を懸(か)けむ」と記されており、「白氏文集」の漢詩文からの引用である。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。新刀賞録 5冊 新刀鑑賞録 箕浦吉隆 藤井利八 松山堂 和本 刀。)
「自筆原本」
自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘の幾千姫(玉映)の落款。
自筆上部のタテ長の印は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて
諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款。新訂増補和蘭薬鏡。
反対側の印は仙台藩医・木村寿禎の落款
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。蕪村三十六歌仙 蕪村集 與謝蕪村。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という若菜・下の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。【明治】『滋賀県会日誌』他 まとめて一括計117冊セット●明治20年~明治28年発行のうち●検)地租税/課税/法令/通達/布達/公文書/官報/議案。》
《こゝろ(心)のうち(内)には、》・・・・・としころへ(經)ぬる人ゝたにも、
さることなきを、不定なる御ことにもや」とおほせは、殊に、ともかくも、
のたまひあへしらひ給はて、たゝ、うち惱み給へるさまの、いと、らうたけなるを、
「あはれ」と、見たてまつり給ふ。からうして思し立ちて、わたり給ひしかは、
ふともえ歸り給はて、二三日おはする程、「いかにいかに」と、後めたく思さるれは、
御文をのみ、書き盡くし給ふ。K3ii3-230210 レア[草書淵海人集 太田聿郎 明治13年]。
「いつのまに積る御ことの葉にかあらむ。いてや、安からぬ世をも見るかな」
と、わかきみの御あやまちを知らぬ人はいふ。中華民国初期 北京 看板 幌子 招牌 廣告牌 検索:善本 藝姐 支那 茶館 戯院 酒楼 武館 當舖 青楼 銭荘 銀号 書館 煙館 薬舖 賭館 老照片作坊。
侍從そ、かゝるにつけても、むね(胸)うち・・・・《さはきける。》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。春風亭香雨編 望斎秀月画『鬼神阿松白浪草紙』(全二冊揃)春陽堂刊 明治時代和本 彩色木版画表紙 女盗賊「鬼神のお松」を題材とした絵入本。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《准大上天皇として現世における極上の栄耀栄華を得た我が身を回顧する源氏の君》
《女三の宮(朱雀天皇の皇女・源氏の君の正室)のご懐妊を乳母が気づく》
《殿(源氏の君)は、年寄の女房をお呼びになって、宮(女三の宮・前朱雀天皇の皇女・源氏の君の正室)ご容態などをお尋ねになる。古文書 伝法許可印信 三通 文政7年 江戸時代 仏教 密教 真言宗 空海 検)天台宗仏陀浄土真宗浄土宗親鸞法然古写経写本西院流印信案密印NP。
(女房)「ただのご病気とはちがったご様子でいらっしゃいまして」
と、ご懐妊のお悩みである由を申しあげる。
(源氏の君)「どうも合点がゆかぬ。h∞ 明治期 農業三事 上下 2冊揃い 津田仙・著 明治7年 和本 古書 絵入 /A06。ずいぶん時がたってから、珍しい御事ではないか」
とだけおっしゃって、お心の中では、》・・・・・長年の間連れ添っている方々でさえ
そうしたこともないのに、確かな御事かどうかあてにならぬとお思いになられる。
そこで、殿(源氏の君)は、特にこの件(女三の宮ご懐妊の件)についてあれこれとは
おっしゃらず、ただ、お心のご心痛のご様子がいかにも痛々しく感じられるのを、
宮(女三の宮)お付の女房は、殿(源氏の君)のことをしみじみいとしくお思い申される。妙義竜眞詣集。
殿(源氏の君)は、ようやく思い立たれてこちらにお越しになったこととて、
すぐにはお帰りにもなれずに二、三日お泊りになっていらっしゃる。
その間も、あちら(紫の上)はどんなご様子だろう、どうしたものかと
気にならずにはいらっしゃれなくて、お手紙ばかりをこまごまとお書きになる。榎浄門(榎南郊)編 榎浄寿訂『照闇算法』(全5巻5冊揃)天保12年 天王寺屋市郎兵衛刊 和算書 江戸時代和本 算数 数学。
(三の宮付女房)「いつの間にあちら(紫の上)へのあれだけのお言葉がたまるのでしょう。
いやもう、こちらとの御仲もそう油断してはいられませぬ」
と、女君(女三の宮・前朱雀天皇の皇女)と督の君(柏木)の御過(あやま)ちの事情を
知らぬ女房たちは言う。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原 犬追物 天文 古文書 書状。
督の君(柏木)を女君(女三の宮・前朱雀天皇の皇女)に近づけた小侍従だけは
こうしたことにつけても、胸が・・・・《騒ぐのであった。》
備考1・源氏の君は先天的な優秀性のゆえに帝の寵愛を受けた。有正味齋試帖詩注 木刻本 呉錫麟 検索:清朝 木版画 筒子頁 線装本 白棉紙套印 唐本漢籍 古籍善本 国子監 玉扣紙 支那 牋紙宣紙 聚珍版 殿版。現在は、准大上天皇として現世における極上の栄耀栄華を得ている。
備考2:冷泉天皇は桐壺天皇と藤壺中宮の皇子としているが実際は源氏の君と藤壺の皇子。古版 愚問賢注。東宮(皇太子)は、今上天皇として即位し、今上天皇と明石女御の御子は、源氏の君の孫、のちに次期天皇として即位する未来が開け源氏の君の栄華が際立つ。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。『三帖和讃並正信偈』浄土和讃 高僧和讃 正信念佛偈 正像末和讃 4帖 その他2冊 レトロ 古本 版摺 親鸞 浄土真宗 嘉永元年。
禁裏(京都御所)で書かれたものです。
《New Herbs Part Two(若菜・下)》
It was his general want of success in fathering children that made the news so surprising.
Ladies he had been with for a very long while had remained childless.
He thought her sweet and pathetic and did not pursue the matter.
Since it had taken him so long to collect himself for the visit,
he could not go back to Nijo immediately. He stayed with her for several days.
Murasaki was always on his mind, however, and he wrote her letter after letter.
"He certainly has thought of a great deal to say in a very short time,"
grumbled a woman who did not know that her lady was the more culpable party.
"It does not seem like a marriage with the firmest sort of foundations."
Kojiju was frantic with worry.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《若菜・下》
《“真想不到,》・・・・・我到在年,会有等事。生写真 中国軍人 新四軍 八路軍 検索:支那兵 中華民国 共産軍 蒋介石 関東軍閥 国民党 日中戦争 革命党 満洲 総督府 張学良 古建築 北伐軍。”
但心中想道:“和我年同居的人都不曾有喜,公主未必是孕。”
却也并不追,只得三公主病苦之状甚是可怜,十分同情。誠忠 義士銘々畫傳 初編五巻 駿東/柳亭種彦著。
他得到六条院来,不好意思立刻回去,就在与公主住了二三天。
其心甚挂念紫夫人的病状,不断写信去探。稲田吾山画『吾山画譜』(全3冊揃)昭和8年 水月庵蔵板(鎌倉)彩色木版画譜 山形県米沢市生 東京美術学校卒 寺崎広業に師事した日本画家。不知道三公主失的侍女私下道:
“一会儿不,就有多要,不断地写信了。
了,我家公主看来不会有出日子了。印補正 尾張/鶴笑江上無篆鐫并鑄 江戸後期寫。”
中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・下の巻の末尾(原本番号107-B)の押印。
左下の四角の大きな印は仙台・伊達家の家紋の印(竹に雀)
家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)の印。西村茂樹編 西阪成一解 白石千別閲 南摩綱紀序『新撰百人一首』明治16年 中外堂刊 明治時代和本 彩色木版画譜「小倉百人一首」改訂版。冬姫は内大臣・通誠の養女。
冬姫は通称。東亜現勢大地図 附ヨーロッパ洲・世界現勢図。正式な名は伊達貞子。2つとも貞子の印。日本刑法治罪法講鮮大全 明治16年 法律法学 六法全書 戦前 明治大正 古書和書古本 P。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。
左上端の細長い落款は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩文の印。坤輿図識 補共。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)の印。方子の上の印は方子の娘・幾千姫(玉映)の印。1905年 紋様書 明治38年 奈類美加多 検索⇒図案 香盒 設計 木版摺 支那 文様 古玉 武器 兵器 軍服 古建築 彫文 小田切春江 浮世絵 絵本。右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。唐李懐琳 草書 絶交書 検索:柯羅版 玻璃版 原色 支那 原拓片 北魏碑帖 法帖 法書道 印譜 漢籍善本 古墨拓 碑刻石 瓦当 金石 篆刻 唐本 拓本。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)
「源氏物語」「若菜・下の巻」絵図、茶室関係資料
下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・下)」(源氏物語絵巻)
朱雀院(前朱雀天皇)の五十の賀を祝い女三の宮、紫の上、明石女御が演奏する「女楽」の有名な場面
上の女性三人のうち右から紫の上は和琴、明石の女御は箏、女三の宮の琴。豊大万寳古状揃 鱗形屋孫兵衛板。通俗 明治民権の花 板垣退助君言行略 ボール表紙。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。原鈐印譜 検索⇒金石篆刻 印存 書道 封泥 朱印 雅印 遊印 雅号印 石鼓文 篆印 官印私印 原打印 落款印 支那 唐本漢籍 呉昌碩 鄧石如 斉白石。加茂郡南戸村地引絵図 戸長千賀氏署名黒印。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 毛利 小笠原 古文書 歴史的逸品。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 巻物 一張弓 宇相是也 正法山紫賜僧開善前住 古文書 書状。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。送料込み、1789年の江戸時代の和本「慶安太平記」全10巻5冊、写本、慶安事件、由井正雪、幕府転覆計画。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。奥田頼杖著 平野橘翁編『心学道の話』(全二十四巻八冊揃)天保14年序 河内屋新七刊 江戸時代和本 石門心学 心学者 心学書。撮影後、展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。f22092012〇明治布告布達 海兵隊服制 下 砲兵曹長礼服 常服略服 夏服 明治6年〇和本古書古文書。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。浜野知三郎編『海保漁村先生年譜 附論語駁異』昭和13年刊 太田錦城に師事した幕末の考証学派の儒学者/漢学者 漢文集。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。つれづれ草 上巻(下巻欠) 徒然草 寛文八年刋。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。千宗茶湯會席 千利休・羽柴秀吉・豊臣秀吉・古田織部。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。林子平述 松浦武四郎編『林氏雑纂』(全2冊揃)明治3年序 甘泉堂・千鐘房刊 明治時代和本 北海道・蝦夷関連資料。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。@日本 文字 設計 デザイン 検索:広告 廣告 平面設計図 看板 字体 書体 字体書 美術字 標牌 牌額 銘牌 標識 標志 LOGO 活字 鋳造 書道 書法。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。1932年 唐拓九成宮醴泉銘 唐本漢籍 検索:支那 柯羅版 玻璃版 原色 原拓片 北魏碑帖 法帖 法書道 印譜 善本 古墨拓本 碑刻石 瓦当 金石篆刻。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。●仏教書●『和字絵入 往生要集』全3冊揃 八田華堂金彦 地獄 閻魔 六道 浄土 天保14年刊●古書 和本 江戸時代。幼名は多治丸。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。坪内逍遥 署名入り?サイン本? 良寛と子守その他 サイン入り? 坪内雄蔵。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。即決 1866(慶応2)年『南都暦 天保壬寅元暦 』アンティーク、天文暦学書、江戸期和本 八卦、卜占、陰陽師 、二十八宿、七十二候、日蝕。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。集古圖説 本朝軍器考圖式 上下巻(内上巻の下一册欠)。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。大正2年再版。東京御徒町・日吉堂本店發兌。
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